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シシャパンマ(中央峰) XIXABANGMA 8012m 

期間

1999年8月1日〜9月22日

 

隊員

総隊長 小川 繁(東海支部)

隊長 鈴木 幹夫(東海支部、京都岳人クラブ、岐阜大学山岳部OB)

隊員 高橋 玲司(東海支部、愛知学院大学山岳会)  加藤 博(東海支部、京都岳人クラブ、岐阜大学山岳部OB)

 

 

始めに

今回私たちが挑んだシシャパンマ峰(8012m)は世界第14位の高峰で、ヒマラヤ山脈中部、ちょうどカトマンズの北あたりに位置しています。1964年に中国隊によって初登頂された後、1989年愛知学院大隊をはじめ多くの登山隊を迎えています。最近は公募登山隊の隆盛によって、チベット側の8000メートル峰に総じて言えることですが、毎シーズン10隊を越える多くの登山隊を迎えています。そういった初登とはほど遠い、東海支部の掲げる探検的要素のある登山とはちょっと違った山に対して今回我々は敢えて挑むことにしました。

 

 

何を目的に登ったか

それは、2年前のK2登山隊に始まります。私も1隊員として田辺隊長の下でなんとか登頂する事ができました。東海支部で、雪蓮峰、クラウン峰とステップアップしながら登ってきたうえでの、あこがれていた8000m峰の頂でした。しかし、登頂には大きく満足しましたが、どうも達成感がなかったのです。(その辺りのことは日本山岳会の会報「山」にも書きました。) 何故?か、色々と考えました。行き着いた結果は、「重い登山」に原因があったと感じたのです。つまり、多くの固定ロープの使用、高所ポーターの使用……etc.なのです。このために、日本国内での準備に多大な時間を要してしまい、本来の目的である登山に対する登り込み、トレーニングなども満足にできない有様でした。また現地においても、隊員の個人の顔は余り見えてこない登り、になってしまっていたような気がするのです。そういった意味で今回私が組織したこの登山隊では、この人だからこういう登り方をしたのだ!、私はこう考えるからこういった登り方をするのだ!、といったような主体的な登り方がしたかったのです。その結果選んだのがシシャパンマ峰南西壁だったのです。

 

ネパールでの高所順化

シシャパンマのあるチベット高原、そこは平均高度が4000mを越えるような場所です。私たちは中国入国を前に、ネパール国内のランタン谷で高所順化をかねてのトレッキングへ8月前半に12日間行ってきました。


キャンジンゴンバの裏山へ順化に行く

ランタン谷は世界でもっとも美しい谷と言われるほどのところですが、実際に花は咲き乱れ、蝶が舞い、モンスーンシーズン中の雲間から7000mを越す山々がそびえ、何とも贅沢なトレッキングとなりました。当初ランタンの村の、更に奥のキャンジンゴンバに定着して、裏山(5000m位)あたりでじっくりと順化しようとたくらんでいました。しかし、モンスーンという天気の悪さから肝心の登るピークがはっきりせずにろくな順化もできそうにないため、相談の結果、近くの高い高度で宿泊のできる村ということで、ゴサインクンドへ移動し、近くのラウルベニヤク峠あたりでの順化に変更したのです。

このシーズン、多少場所を変えただけでは天候も変わるはずもありません。しかし、4000mの滞在高度で3泊できたため、峠への順化が1度しかできませんでしたが、それなりに意味のある滞在となった気がします。今までトレッキングで、クーンブ、アンナプルナなどへ行ったことがありましたが、順化という面からは、今回のランタン谷はアプローチの近さ(カトマンズからバスで1日)、短時間で高所へ行ける(バス終点から2日で4000mまで到達可能)などと条件的には一番であったことも報告しなくてはいけないと思います。

 

 

いざチベットへ

ランタン谷トレッキングから戻り、カトマンズで中国ビザの取得や装備、食料の買い出しをした後、いよいよ8月19日に中国へ向けてカトマンズを出発しました。途中国境付近では崖崩れで3度バスを乗り換え、何とかネ中国境のコダリへ到着。しかし、中国側との連絡がうまくとれておらず、2日間国境で待ちぼうけをくらった後、何とか中国のザンムーへ入国。


ネパールと中国の国境となる橋(ネパール側から)

その後ネーラムを経ていよいよシシャパンマの中国ベースキャンプへ到着。このベースからはシシャパンマは遠くチベット高原の一風景としてしか見えず、何とも水平距離の長い、これからの登山の苦しさを象徴したような風景がひろがっていました。ちなみに我々が今年のポストモンスーンシーズンにシシャパンマに入山した最初のパーティーでした。


シシャパンマの中国ベースキャンプ(シシャパンマは雲にかくれている)

初めて到達した高度ということで、何とも地に足が着かないキャンプでしたが、初めてのチベット高原を心ゆくまで堪能することができました。

 

登山活動開始

いよいよ登山活動となりましたが、この中国ベースから登山活動のスタートする日本ベースまでは水平距離で20Km以上、時間にして5時間近くもかかる歩きとなります。おまけに高度差はたったの500m程度。なかなか休みをとらないヤクに、高度順化のできていない我々というおかしな関係でキャラバンをおこないました。

何とか本来のベース入りをしたものの、隊員全員の調子がよいはずもなく、早速2名が中国ベースへ下山。それでも数日で復活。早々と氷河の左岸のサイドモレーンを上りきり、本峰への登り口となるセラック帯を横切る地点にデポキャンプをもうけました。ここまでの岩と土の世界から、いよいよ雪と氷の世界へと変わっていったのです。登山を開始してから今までずっと動きずくめでしたが、セラック帯を抜けてキャンプ1へ届こうかという6000mを越えるところまできて、一度休養をとることにしました。(ここまで加藤は一度も調子を悪くすることなく順調に登山活動をこなした。)

 

いきなりアタック

初めての休養は、とんでもなく快適な休養となった。というのも、このベースに安村さん率いる「マウンテンゴリラ隊」が入山し、そちらで毎日の食事の面倒を見てもらったためである。


マウンテンゴリラ隊で食事をいただく

そして、第2クール、当初はこのクールで最終キャンプの建設までを考えていたのですが、どうせ3名での身軽な登山をするために来たのならば、ということで、いきなり頂上アタックをかけてみることに決したのです。いきなり7000mを越える初めての高度で睡眠をとった後にアタックをかけるということで、何とも不安があったのですが、1隊員でも調子が悪ければさっさと下山するという取り決めでアタックをかけることとしました。

6300mのキャンプ1までは通い慣れたみち、続くキャンプ2、今回我々はアルパインスタイルとしてシシャパンマを考えたときに、このキャンプに泊まる必然性を感じなかったため、キャンプを作らず、いきなり7200mのキャンプ3入りをした。キャンプ2から3へは、俗に「氷雪の廊下」と呼ばれている高度7000mでの水平移動が4km以上も続く、気が遠くなるような長い長いラッセルとなりました。いざキャンプ3にて泊といっても、2人用の小さなテントに3名が入ったため、高度のためだけでなく、気が狂いそうな最終キャンプとなってしまったのです。

あけた翌日(9月7日)、中国ベースに入ってから2週間、深夜に3名でアタックに出発。忠実に末端から左側がすっぱりと1000m以上も切れおちた北西稜をたどった。いよいよ明るくなってきて遠くエベレストも見え始めたころ7500mのコルに到着。しかし深かった雪がますます深くなってきた。メンバーの調子も悪く、遠く日本ベースから我々のアタックを見ていた他の隊のシェルパたちとの無線の交信からも、本日中の登頂は厳しく感じた。そのため、さっさと敗退を決め、逃げ帰るように下山をせざるを得ませんでした。

 

再びアタック

1度目のアタックは、想像以上の雪の悪さと、体調の悪さのために失敗となってしまいました。

そのころになると、ベースへは次々に他の登山隊が入山してきており、我々も十分に休養をとった。しかし、雪の悪さを考えると我々3名だけでのアタックは絶望的に不可能であることもはっきりと理解していた。

他の隊のシェルパたちとの相談の結果、次のアタックはラッセルを交代でできるよう、合同でアタックすることとなる。この期におよんで我が隊にとっても依存はない。

いよいよアタックの日9月15日、真っ暗な中「氷雪の廊下」の最上部のキャンプ3から、3名三々五々にスタート。すでにコルからは「マウンテンゴリラ隊」のメンバーがアタックにでており、それを追いかけるように登る。

身が引き締まるような寒さの中、息を整えながら頂上を目指した。なんとしても今回で決着をつけたい。


やっと朝日が出てきた

 


深い雪のラッセルが続く

日が高くなってきた頃にはマウンテンゴリラ隊のパーティーにも追いつき、交代で膝以上の深い雪をラッセル。しかし時には「万歳ラッセル」もでてきて1時間で50mも進めないような状況となり、時間も15:00を過ぎ、もう今回のアタックはだめなのかという気も何度かよぎる。ラッセルのできるメンバーも皆疲れて、お互いにだれが先頭に立つかの様子見をし始めた。しかし、ここで高橋が勇躍先頭に飛び出した。それにつられて加藤も力強くラッセルをはじめた。8000mの高度で、すでに12時間以上も行動し、おまけに深いラッセル。こんなところで、2人の力強い動きを見て東海支部の新しい息吹を感じずにはいられなかった。


頂上も近くなってきた

いよいよ最後の急な登りを終え、数十メートル水平に移動したところ、そこがシシャパンマ中央峰の頂上であった。


シシャパンマ中央峰登頂!

本峰は真横の100mほど先に見えているが、この深い雪のラッセル、そして既に暗くなりかけた時間、全員の体力を考えると本峰への登頂は不可能であった。しかし我々は力を出し切って登り切ったことに大きく満足し、早々に頂上を後にした。

 

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