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アコンカグアに登ろうとした理由?。非常に情けないが、冬の休みに短期間で高い山に登れるから。それだけの理由であった。特別にアコンカグアという山に対して思い入れがあったわけではない。多少 原 真さんの「登山のルネッサンス」の影響で、日本国内である程度トレーニングをしていれば7000m近い高峰(つまりアコンカグア)も非常に短期間で登れるのではないかという思いがあったことは確かだ。しかしそれがアコンカグア南壁に意識が向かわなかったのがまだまだ若かった。しかし休みは年末年始を挟んで最大2週間くらいまで。仕方がない、というわけで目標をアコンカグア通常ルート一本に絞って10ヶ月ほど前から準備を行った。(といっても全員で行ったことといっても、2回ほど富士山に登っただけであったが。) まずいつ行くか。先ほど書いたように、私の休みが取れるのが年末年始、というわけで、考える前に休みの取れる間だけとなった。
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入山方法: ![]() チリとアルゼンチンの国境近くにアコンカグアがある。 最寄りの大きな町はメンドーサ(Mendoza)、 ブエノスアイレスからよりも、チリのサンチアゴからの方が近い。 |
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12/23〜24 メンドーサまでの記録は別のページです。(作成中) メンドーサには17:00に到着した。相棒のT君がバスターミナルでどのバスで来るか分からない私をずーっと待っていてくれた。早速彼の泊まっている宿へ移動する。
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6:00前に起き、6:40にバスターミナルへ。チケットは荷物代金込みで7.8ドルであった。7:00にいっぱいの人を乗せて出発。12:00ごろにプエンテ.デル.インカに到着したときには5人ほどになってしまっていた。プエンテ.デル.インカは軍隊の兵舎があるが、民間の建物は反対側にホテル(ロッジ)が1つあるだけで後は何もない。ここでおやじのガウチョがが1人やってきた。彼は私たちのことを既に無線で聞いて知っているとのことで、荷物を倉庫に預けた。そのままパスタの昼食を適当に作って食べた。T君ともう1人の日本人の人は15:00にコン.フレンシアに向けて出発。私は時差ボケか、疲れからか、眠くてしょうがなくて直ぐに寝てしまった。(夕食も取らず12時間ほど眠り続けた。) ![]() プエンテ.デル.インカ付近から見たアコンカグア 正面はアコンカグア南壁(北半球でいう北壁) プラザ.デ.ムーラス(BC)は谷を入って左側にある
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昨日の夕方から眠り続け、結局起きたのは朝の6時に馬の蹄の音で目が覚めた。今日はメンドーサからの登山許可を受け取り次第直ぐに出発しなければならない。たぶんバスが到着するのは昼過ぎだろう。それまで簡単に朝食を食べ、本を読み、足慣らしがてら裏山や、プエンテ.デル.インカの地名となった、「インカの橋」を見物?に出かけた。 ![]() 「インカの橋」 自然にできた橋 温泉がわき出ているためイオウの黄色になっている バスが到着したのは14:00になってからで、登山許可を受け取り、15:00に急いで出発。 ![]() スタート前に登山許可の確認をレンジャーに受ける ![]() ムーラスの一群がものすごい勢いで走りすぎていく 草原の単調な道を急いだ。19:00にコン.フレンシアに到着。なんとそこには既にプラザ.デ.ムーラス(BC)に居るはずのS君がいた。彼は高所順化がうまくいかず、ここまで下りてきたそうだ。初めてにしては好い判断するなと感心した。結局2人でここに泊まる。 ![]() 快適な今日のテント場 簡易テントを張って横になった |
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![]() アコンカグア遠景 右下のプエンテ.デル.インカからコン.フレンシア、プラザ.デ.ムーラスまで一望 |
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12/27 6:00に起きた。寒い。夜あまりに寒くて合羽を着込んだがそれでも寒い。朝食を作ろうとしたがガスボンベが空で、菓子パンを食べて7:00頃出発。 ![]() 上流の遠景 朝日が出てくると、これから進む方向に陰がのびとても綺麗だ。しかし遠そうで嫌になってくる。黙々と話しもせず2人で歩いていく。さすがに夏で上流の氷河が融けるのだろう、谷のあちこちに水流がある。結局4回も渡渉をせざるを得なかった。 ![]() 渡渉をする 水が冷たい 多少高度の影響でゆっくりの歩きになったが、13:00にプラザ.デ.ムーラス(BC)に到着した。既にT君はニド.デ.コンドル(C1)を今日往復しており、Kさんにいたっては既にC1泊とのこと。私も早速BCを出て1.5時間ほど上部まで高所順化に出かけた。 ![]() 少し上部から見たBC(中央左) テント村になっている ゆっくり登って、ゆっくり下ったが、多少頭が痛い。夕食はカレーとしたが、米がうまく炊けずにカレースープのみとなる。頭痛薬を飲んで寝た。 明日からの行動を考えた。始めに明日からT君とKさんの組でC1泊後に明後日に頂上アタック。私とS君はそれに続いて明後日C1泊後に同じように頂上アタック。もし失敗したら、一度BCで休養後に再度同じ行動をすることとした。
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12/28 私たち2人は今日はC1往復のみ。T君とKさんは今日はC1泊まりとなる。 ![]() BCとC1間の登り 延々と同じ状態 登りの調子は、昨日多少登っておいたおかげか思いの外調子が良く、14:00過ぎにはC1に到着した。C1は広い平らな場所で、好きなところにテントが張れる。水は凍った池がありそこから好きなだけ取ることができ、ここならば長期間滞在できそうだ。(滞在したくはないが) T君とKさんも少し遅れて到着、3人用テントを建て、中でお茶を飲んで16:00過ぎにBCへ向けて下った。1時間ほどでBCにつき、パスタの夕食を作ったが、またしてもパスタがペーストのようになってしまい、マヨネーズをかけて無理矢理食べた。本当にひどい食事が続く。明日はいよいよC1泊、そして明後日は頂上?。 19:00に寝た。
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12/29 今日はC1までの移動だけ。
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12/30 いよいよ頂上に向かう日だ。5:00に起きるが、少し頭が痛い。久しぶりにインスタントラーメンを食べて、まだ暗い6:40に出発。 ![]() C1出発 まだ暗く、寒い C2のベルリンには1時間ほどで到着した。非常に調子がいい。始めにここまであまり時間がかかるようだったら、今日のアタックは中止にして高所順化だけでもう少し上まで登ろうと考えていたため、思わぬ調子の良さに「今日中に登れる」という気がおきてきた。 ![]() ベルリン(C2) 5950m 小さな小屋が2つと、テントが幾つか建っていた 少しC2で休んだ後、8:00に改めて出発。相変わらずマイペースで進む。9:40に更に上のC3となるインデペンデント小屋(6546m)着。小さな三角形をした小屋が建っていた。既にS君とはかなり離れてしまったが、始めの約束通り好き勝手に登る。C3を出るといよいよ問題のグランカナレータが見えてきた。ここからがどの報告書にもつきそうで着かないと書いてある。見た所トレースはトラバース気味に登っているのが見えるがその先は分からない。取りあえず着実に登るのみ。 ![]() グランカナレータの遠景 トレースが見える 始めのトラバースは全く問題なく終わった。しかしここから登りがきつくなると同時に、足下が滑りやすくなってきた。数歩頑張って登って少し休んで、また同じことを繰り返す。こんな登りが延々と続いた。頂上は見えているような見えていないような、どこが頂上だ!。多分頂上だろう場所は見えているので頑張ってそこに向かって登った。 ![]() 頂上での記念撮影 下りは全く疲れはて、フラフラになってC1へ戻った。そのまま適当に食事をとって寝た。
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登頂の翌日31日にBCへ戻り、T君とKさんの再アタックを見送った後、S君とコン.フレンシアへ下った。(始めの約束で、現地集合現地解散で、登頂した後はどうしようが自由ということにしていた。) S君とはコン.フレンシアで分かれて、私は1/1にメンドーサまで戻って、その後チリのイースター島へ向かった。 当初、日本発着で2週間では7000m近いアコンカグアを登るのは難しいかと心配していたが、結果としては1週間もかからず登頂でき、思わぬ誤算であった。誤算といえば雪も全くなく、その意味でもラッキーであったようだ。ちなみに最終的にT君も登頂し、合計3名が登頂することができた。 |
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