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イースター島の旅(モアイを見る)

   Isla de Pasqua (1995/1)

 「イースター島」と日本の人々は当たり前のように言ってしまうけれど、サンチアゴ(チリ)のホテルを出る時に「これからイースター島へ行ってくるんだ。」と何回言っても全く通じなかった。ラン.チリ航空のチケットにも「イースター島」の「イ」の字も無い。あるのは「ハンガ.ロア」という聞き慣れない名前。なぜだ???

 そもそも、イースター島へ行くことになったのは 偶然 であった。今回のメインの目的はアコンカグアに登ることであって、それは別のページで紹介したようにあっさりと終わってしまったのだ。現地解散ということで、ベースキャンプでこれからアタックに出る2名を見送ると同時に下り始め、翌翌日にはサンチアゴ(チリ)に帰り着いていた。さてこれから何処へ行こうか?。当初は、ペルーからボリビアへの遺跡めぐりと、ガラパゴス諸島の2つを考えていた。とりあえずサンチアゴで日系の旅行会社である「山一」(やまいち)へ行き、遺跡めぐりのエアチケットが手配できるか聞いてみたところ、「遺跡を見ずに、回るだけなら可能」とのこと。「遺跡を見ない旅」も面白そうであったが今一であった。そこで思いついたのがチリ=イースター島であった。念のためにエアチケットが取れるか聞いてみた。「現在はピークシーズンだからチケットは取れないですよ。」と言われて確認してもらったところが、「ラッキーですネ。チケット取れますよ。」とのこと。以前から「コンチキ号の探検記」や「アク.アク」などのヘイエルダールの本を読んで気になっていたイースター島が一気に近づいてきた。

イースター島地図
イースター島(Isla de Pasqua) 略図

 出発の日、謎は解けた。チリの人々はIsla de Pasqua(イスラ.デ.パスクア)と呼んでいたのだ。イースターという名前はある意味で、侵略者の一方的な名前だったのだろうか?

(栗原さんより指摘を受けまして、Isla de Pasquaもスペイン語でイースター島を意味しているということで、やはり侵略者の一方的な名前でした。訂正します。)


 サンチアゴの空港から5時間ほどの飛行でイースター島に到着した。大きさが伊豆大島くらいだそうだが、実際に小さな島だ。おまけに周りに小さな島も何もない。本当に大海の中にぽつんと島があるだけだ。

飛行機からの写真
飛行機からの景色(上記地図の黒い矢印の方向を見た)
中央の左右方向に空港があり、右下にハンガ.ロアの村が見える


 到着した翌日から島を回り始めた。偶然に飛行機の中で知り合ったハビの持っているジムニーでのドライブだ。島の周回道路を時計の逆方向に進む。
 始めはラノ.カオ。ジムニーで頂上まで一気に登りきり、突然前方が開けた。そこがラノ.カオであった。大きなクレーターのような感じであろうか。そのつもりならば下まで下れるそうだが面倒くさいので止めた。

ラノ.カオ
ラノ.カオ 地図の左下の火口(地図へ戻る

ラノ.カオ
ラノ.カオをバックに 左端がハビ

 ラノ.カオから少し岬側へ行くと、オロンゴがある。昔は神聖な場所であったようで、現在でも発掘調査や、修復工事を行っていた。そこから海側を見るとものすごい景色が目の前に広がっていた。周りに全く島のないイースター島で、唯一の島がそこにはあった。モツ.ヌイと言って、昔は若者が宗教行事として鳥の卵を取りに泳いで渡っていたそうだ。

モツ.ヌイ
オロンゴから見たモツ.ヌイ(地図へ戻る


 ラノ.カオを後にしてラノ.ララクへ。

ジムニー
アフ.ピナプ付近から内陸側を見る
阿蘇の外輪山の中にいるような感じ(
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 ラノ.ララクは昔はモアイの製造場所だったところで、今でも移動前のモアイが沢山並んでいる。

トンガリキでの魚取り
アフ.トンガリキ付近からのラノ.ララク(山)
ちなみに手前の人々は魚を捕って食べていたので、一緒に戴いた(
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ラノ.ララク
ラノ.ララクを海側から見た
山の中腹に黒く点として見えるのがモアイ(
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 モアイにも時代によって色々なタイプがあるようであるが、このラノ.ララクにある完成したモアイには面長で彫りの深い端正な顔のモアイが多いが、中にはふっくらしたモアイなどもあって非常に興味深い。モアイは山の中腹の草原の中に転々と海側を向くように立っている。

作りかけのモアイ
作りかけのモアイ(ラノ.ララク)

モアイ
モアイと私(ラノ.ララク)
モアイの大きさが分かるが、体は土の下

モアイ
よくあるモアイ像の写真(ラノ.ララク) (地図へ戻る


 ラノ.ララクを後にしてハンガ.オ.ホヌへ。島の周囲がほとんど切り立ったイースター島で唯一の砂浜が、こことアナケナにある。アナケナはヤシの木のある観光地だが、ここはほとんど人がいなくて静かなビーチだ。

オパヘ.ビーチ
ハンガ.オ.ホヌのビーチで (地図へ戻る


 ビーチを後にしてハンガ.ロアの村へ戻る途中で大きな森があった。イースター島はほとんどが草原なのだが、ハンガ.ロア近くに一部分だけ森がある。かなり貴重な森なのだが、木こりが木を切って運ぶところであった。聞いてみると、新しく家を建てるためとのこと。後で遊びに行ったら、貝殻の首飾りを戴いてしまった。

森
木を切り出している


 村に戻って食事を取った。シェビチェと言って、近海で取れるマグロをレアにしたようなもので、これだけで十分腹一杯になってしまった。

食事
シェビチェ(レアにしたマグロ)


 後日、バイクを借りて再度島を回った。最後に行ったのはアフ.アケビであった。海を見つめる7体のモアイ。少し寂しそうであった。

アフ.アキビ
アフ.アケビのモアイ (地図へ戻る


 それにしてもイースター島は遠いところだ。イースター島を後にして、ほぼ日本まで飛行機を乗り継いで休み無く帰った。サンチアゴ、マイアミ、シアトル、成田と30時間近く飛行機に乗っていたのだろうか。日付変更線のためもあるのだろうが、イースター島を朝出て翌翌日の夕方にやっと成田に着いた。まるっきりイースター島は私にとっての竜宮城になってしまった。あれは現実だったのだろうか?


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