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1990年8月19日、12時30分(北京時間)に私たち日本山岳会東海支部は、4度目の正直で、支部の永年の課題であった天山山脈の雪蓮峰に初登頂した。

雪蓮峰 初登頂
そもそもこの雪蓮峰が東海支部のターゲットとなったのは、明治43年に大谷探検隊の撮影した1枚の写真にさかのぼる。支部員の中で地域研究としてこの地域を調査していたおり、この1枚の写真が目に留まり、中国の地図や、コンピューターでのシュミレーションの結果、ムザルト峠から見た雪蓮峰であることが分かり、東海支部のターゲットとなったのだ。ちなみに、このムザルト峠は天山山脈を南北に横断する氷河古道の1つで、玄そう三蔵も天竺への旅でこの峠を越えたと言われている、由緒ある峠なのだそうだ。
1986年夏に第1次隊が派遣されたが、はっきり言って全く情報がない。山の全容を示す写真などあるはずもなく、地図も旧ソ連との国境近くということで詳しいものがない。当初は大谷探検隊の写真のように、天山山脈の南の要所のアクスからムザルト峠を越えて、雪蓮峰の北面からの登頂を狙ったようだが、増水した雪解け水のために目的を達せず、南面からのルートに変更せざるを得なかった。結局わずか2350mをBCとして登山活動がスタートしたが、いかんせん登山期間が短く、ルートも全く手探りの状態ということで、C4(5700m)までで登山終了となった。
続く1988年に第2次隊が送られ、第1次隊に同じく南面からの登頂を狙ったが、天候にも恵まれず6300mまでで終わった。
必勝を期した第3次隊は1989年に送られた。しかしまたしても雪蓮峰は微笑んでくれず、雪蓮南峰(ジャンクションピーク)の6450mの登頂に終わった。しかし学術隊は外国人として戦後始めて氷河古道の完全踏査に成功した。
そして第4次隊となる1990年、我々登山隊は過去3次にわたる登山隊の経験や情報を最大限に生かし、予定通り登山活動を進めて念願の初登頂に結びつけた。
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登山隊概要
登山隊の母体 日本山岳会 東海支部
期 間 1990年 7月18日 〜 9月3日
山 域 中国 新彊ウイグル自治区 天山山脈
雪蓮峰(せつれんほう) 6627m
メンバー 12名(隊長含む)
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行動概要

1990年
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7月
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18日
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日本 脱出
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22日
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アクス(中国 新彊ウイグル自治区) 出発
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25日
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雪蓮峰 南面 カラクメ氷河舌端にBC建設(3100m)
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27日
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カラクメ氷河上に中継キャンプ建設(3500m)
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29日
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湖畔の台地にABC建設(4100m)
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8月
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1日
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アイスフォール上部雪田に中継キャンプ建設(4800m)
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3日
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C1建設(5250m)
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7日
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C2建設(5950m)
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11日
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雪蓮峰 南峰を越えた頂上直下にC3建設(6400m)
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12日
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第一次アタック 失敗
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18日
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第二次アタック 出発(6500mの頂上直下でビバーク)
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19日
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雪蓮峰(6627m) 初登頂
北京時間 12時30分 隊長以下合計8名が登頂
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23日
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BCへ下山
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28日
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アクスへ帰着
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29日
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アクスで登山隊と分かれて独り旅へ出発(登山隊はウルムチへ)
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登山隊参加まで(私事)
1989年夏、(社)日本山岳会
東海支部の雪蓮峰登山隊(第3次隊)は雪蓮峰南峰の登頂にとどまり、主峰への初登頂はならなかった。その登山隊に参加していた同じ山岳部の山崎が、「来年も徳島さんが隊長で登山隊(第4次隊)を出すようですよ」と思いがけぬ情報をもってきた。私も第3次隊に参加したかったが、大学院の試験などもあってあきらめていた時でもあり、早速その登山隊に参加する予定のT君に電話をして徳島隊長へ話をつけてもらった。
私はそれまで海外の山、ましてや高い山など登ったこともなかったから「本当に登れるのかな?」と不安であったが、徳島隊長から「是非一緒に行きましょう。これからでもトレーニングすれば大丈夫ですよ。」と暖かい言葉もいただき、完全に参加を決意した。
結局出発の年(1990年)の2月から、登山とその後の活動に向けての活動を本格的に始めた。といっても、来年大学院を1年留年して登山隊に参加し、ついでに現地で登山隊と別れてパキスタン、ネパールでトレッキングと簡単な山登りをしようということだけであったが・・・・。
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アクスまでの行動
7/18 大阪 → 北京 → ウルムチ
10:40分大阪空港(関西新国際空港は無かった)を出発。なんとJALに乗ってしまった。14:30に北京首都空港に到着。K君がヒコーキを降りるや否や「北京のにおいがする。」と言った。確かに日本と違った香りだ。「やっぱり海外は違うな。」と思ったのもつかの間、目の前で職人さんがペンキを塗っていた。トホホ
空港で少し待ち時間をつぶした後、そのまま新彊ウイグル自治区の首都のウルムチまでもう一フライトした。今日はウルムチ郊外の新彊賓館(ホテル)に宿泊。

紅山から見たウルムチ市街
7/19 ウルムチ
今日はウルムチでデポ品の確認を簡単に行っただけで仕事は終了。市内の博物館でミイラを見たが、「こんなもんか」と言った感じであった。ゆったりとした1日であった。
7/20 ウルムチ → アクス
アクスへのフライトが夕方のため、朝から観光に出かける。まずは有名な紅山。市街中心部の緑のオアシスといった感じだろうか。良い眺めだった。
紅山を後にして昼食は魚料理。なんとコイの踊り食い?が出てきた。皿から顔を出したコイの口はパクパクして生きているのに、体の身の部分はしっかり料理されている。見ていて気持ち悪くなるような料理だ。

コイの踊り食い
夕方17:00頃にウルムチの空港に向かった。やたら公安(警察)の多い空港だ。少々緊張しながらヒコーキ(プロペラ)に乗り込む。北京時間が標準時のため既に19:00を過ぎているのにまだまだ昼間のようだ。

ウルムチ空港
バスで2日はかかる道のりを、ヒコーキでひとっ飛びしてアクスへ到着。西域南道の要所、アクスは大した町でないと思っていた予想に反してかなり大きな町であった。しかし深夜の23時頃に到着して夕食を食べる我々にホテルの服務員は非常に冷たかった。
7/21 アクス
朝から早速洗礼を受けてしまった。やっとやってきたかといった感じだろうか。つまり下痢。他のメンバーも数人同じ様子だ。トイレットペーパーが手放せない。たまたまこちらのトイレットペーパーの色が赤であったため、「赤紙」と言って、まるで重要な召集令状を持ち歩くようにいつでも持ち歩いていた。

アクスの賓館(ホテル) ロシアっぽい感じの建物?
日本から送った荷物がまだこちらに到着していないため、食料担当が現地調達品を購入する以外にする事もない。ビスケットなどを買ったが、おいしそうと思ったものは外国製で、中国製の10倍も高い。なんてこった。

デパートでビスケットを購入
ホテルに戻って、食事をとる。口に合わないものが圧倒的に多いため、少しでも食べれるものが出てくるとメンバー全員の取り合いだ。とりあえずご飯ものがあるのが救われる。また、こちらにはスイカやメロン(ハミウリ)が特産品としてあって、これからシーズン突入でとってもおいしいのだけれど、これを食べるとストレート。数時間のタイムラグで口から入ったものがそのままお尻から出てくる。何度も大きなかけをしてしまった。

食事風景 洗面器に入っているのがおかゆ
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アクシデント発生
7/22 アクス → チャンラパーの途中(マイクロバス泊)
本当は今日の早朝にアクスをトラックで出発するはずであったが、肝心の荷物がやってこない。どうしようか。いつ荷物が到着しても動けるように部屋で寝て過ごす。
やっと夕方の17:00に荷物到着。早速荷物を整理して18:00に慌ただしく出発した。

やっと荷物が到着 1箱無くなっていた
今日中に最終部落に到着、と思っていた。しかし、荷物を積んだトラックと離ればなれになった我々のマイクロバスが、最後の村のチャンラパーへの近道の谷を通っていた時、ちょうどマイクロバスは枯れた河床を通っていた。にわか雨のような雷雨が降り出し、突然運転手がマイクロバスを谷の右手へ向けて上げだした。
どうしたんだ?!?!。
と、その時前方をみてブッたまげた。なんと前方から土石流というか、鉄砲水がやって来るではないか。あっという間にマイクロバスの車輪を越すほどの濁流に囲まれてしまった。はじめは騒いでいたが、すぐに日も暮れた寒い車内でじっと我慢して過ごす。
深夜の2時くらいにトラックに乗っていた中国の人々が、河を歩いてやってきたが、それだけ。
7/23 チャンラパーの途中 → チャンラパー
翌日は快晴。しかしマイクロバスのエンジンは全く動かない。後から来るトラックを待っていたが、全くやってこない。
昼に、ジープに乗った中国の協力員がやってきたが、「大回りして、トラックが上流から来るので、歩いて上流に向かってくれ。」とのこと。三々五々「すぐにやってくる」であろうトラックを思って何も持たずに出発した。
しかし、歩いても歩いてもトラックはおろか、何もやってこない。天気は快晴。道は谷を抜けて、見渡す限りの平原。遠く前方に小さく峠が見えるが、日陰もない。
結局、水もなく延々と歩き続け。ダウンしかけた頃にやっとトラックがやってきた。助かった。
チャンラパーの手前の波城子は漢族の小さな炭坑の町。そこで遅い昼食をとりウイグル族のチャンラパーの村へ。草原に荷物をおろし、パッキングをし直して明日からのキャラバンに備えた。今日からテント泊となる。
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キャラバンスタート
7/24 チャンラパー → アクチ谷入り口
いよいよキャラバンが始まる。私たちの気持ちの高ぶりをかわすように、馬方さんはゆっくりと準備を始める。

ラクダに荷物をつける馬方さん

馬方のリーダーは白馬に乗って出発

ラクダは7頭が数珠つなぎになり、先頭をロバに乗った馬方さんが引率する
最終的に、馬14頭、ラクダ7頭、ロバ15頭でキャラバンがスタートした。
広い谷をバラバラに進んだ。以前の遠征時には雪解け水で冷たい河を命からがら渡渉したようだが、今年は木の橋が渡してあったりして、渡渉なしでアクチ谷入り口のキャンプ地に夕方到着した。
7/25 アクチ谷入り口 → 雪蓮峰BC
キャラバン2日目。これから本流を離れてアクチ谷の左岸を進む。以前の遠征隊ではこの急な岩壁帯で馬が墜落したりしており、気が抜けないところだ。安全のために馬やラクダの荷物を多少減らしたため、キャンプ地に荷物を残さざるを得ない。

アクチ谷入り口のキャンプ地
相変わらずゆっくりとした準備の後、出発。注意しながら崖をトラバースした。

アクチ谷から下流の入り口のキャンプ地方面を見る
左手の崖の中腹トラバースして進んだきた
崖の地帯を過ぎると、また谷は多少広くなり、羊が放牧されている地帯になった。そんな場所を登って、氷河末端の少し下流の標高3100mにベースキャンプ(BC)を置いた。ささやかにBC開きの宴会を行う。
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その2
へ続く
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